英語と安さで選ばれたフィリピンの画面に、世界の口座と診療記録が映っている
フィリピンのコールセンターが選ばれてきた理由は、英語が通じて安いことです。業界団体自身の資料がそう書いています。ところがそこに届いているのは、世界の銀行と医療のユーザーからの問い合わせでした。選ばれた理由と任されている中身が噛み合っていません。2年で2度、オーストラリア企業の顧客情報がマニラを経路に抜かれ、アナリストは「顧客はリスクを拠点の所在地で値付けする」と言います。

フィリピンのコールセンターが選ばれてきた理由は、はっきりしています。英語が通じて、安いことです。
ところが、そこに届いているのは、世界の銀行と医療のユーザーからの問い合わせでした。安さで選ばれた場所が、いちばん重要な情報を扱う場所になっています。
そして2年で2回、その情報は人の手から抜けました。
人が原因の漏れを止められなければ、フィリピンは選ばれなくなります。
英語と人件費で選ばれたと、業界団体自身が書いています
数字だけ見れば、この産業は強い立場にあります。
- 世界のこの産業で働く人のうち 17% がフィリピンにいます(2022年は15%)
- 業務の提供地域としては、インドに次ぐ 2位
- お客さんへの応対と医療の分野では1位
- 2025年の売上は403億ドル(約6兆4,100億円)、働いている人は189万人
ただし、この位置を作ったものが何かは、業界団体自身の資料にはっきり書いてあります。米国への文化的な親和性、中立的な口調、そして発注が集まる理由としての 大きなコスト差。英語と人件費です。
業務そのものの難しさで選ばれたとは、どこにも書かれていません。
発注しているのも、ほとんどが外国です。北米が65〜70%、欧州が15〜20%、残るアジア太平洋が15%。
選ばれた理由は安さ、届いているのは世界の銀行と医療ユーザーの問い合わせ
同じ資料に、発注元の業種構成が載っています。この表が、この記事のほぼすべてです。
| 発注元の業種 | 業界全体に占める割合 | 応対のために画面に出る情報 |
|---|---|---|
| 銀行・金融・保険 | 25%未満 | 口座、残高、支払いの履歴 |
| 小売 | 14〜18% | 購買履歴、住所 |
| 通信・メディア・技術 | 14〜18% | 契約、通信の記録 |
| 医療 | 11〜15% | 診療、保険、投薬 |
| その他 | 25%未満 | — |
業界団体自身が、この産業の中核的な強みは銀行・金融・保険と医療にあると書いています。銀行と医療を足すと、最大で全体の4割に届きます。
もちろん、判断そのものや本体の業務は発注元の本国にあります。フィリピン側がやるのは、電話とチャットでの応対です。ただし応対するには、相手の口座や診療の記録を画面に出さなければなりません。
個人情報の扱いに厳しい国の企業が、人件費の安さを理由に、自国の利用者からの電話をこの国に回している。それが構図です。
2年で2回、抜けたのは技術からではなく人からでした
2025年と2026年、オーストラリアの大企業2社で顧客情報が抜かれました。航空会社のQantasと、エネルギー会社のOrigin Energyです。どちらもマニラのコールセンターが経路でした。
2025年の570万人という数字は、オーストラリアの人口のおよそ5人に1人にあたります。
規模を比べるために人口も並べているが、これだけは性質の違う数字である。2件のあいだで対象が重複している可能性があるため、合計は出していない。
手口は正反対でした。
航空会社の件は、外から電話をかけてだますやり方です。犯行グループが情報システム部門の担当者になりすまして電話をかけ、マニラの担当者にアクセス権を渡させました。氏名とメールが約400万件、常客の会員番号が約280万件。身代金の支払期限が過ぎた10月に、データは公開されました。
エネルギー会社の件は、逆に 内側からでした。疑われているのは、マニラのコールセンターで働いていた人です。すでに辞めた元従業員だと豪当局は見ています。約90万人が対象で、そのうち約60人は銀行の口座番号そのものを見られました。犯人は情報の返却と引き換えに金銭を要求したとされます。
なお、その会社のシステムが破られたとも、その会社に責任があるとも、公には確定していません。分かっているのは、辞めた個人が仕事で持っていたアクセス権を通じて情報に届いた、というところまでです。
正反対の2件ですが、共通点があります。どちらも、突破されたのはシステムではなく人でした。電話に出た人と、辞めた人です。
「拠点の所在地で値付けする」という一言
フィリピンAIビジネス協会でデータの扱いを担当する Dominic Vincent Ligot 氏の説明が、この問題の構造をいちばんよく言い当てています。
「1件の内部犯行の疑いを、200万人近い労働力全体に一般化してはならない。とはいえ 顧客はしばしばリスクを『拠点の所在地』で値付けする。目立つ情報漏洩は、オフショアに出すと統制が弱くなるという認識を強めてしまう」
これは道義の話ではありません。見積書の話です。
安さで選ばれてきた産業にとって、これは急所にあたります。発注側がリスクを国名で評価すれば、マニラに出すことの割引率が下がります。監査や保証の要件が増えれば、実質の単価も上がります。安いという理由そのものが痩せていく、ということです。
Ligot氏はこれを「オフショアの問題」ではなく「端から端までのガバナンスの失敗」と呼びました。責任をフィリピンに閉じ込めるべきではない、という指摘です。裏を返せば、値付けの現場ではすでに閉じ込められている、ということでもあります。
AIで減る話は織り込み済み。人の話は入っていません
この産業が縮む理由として語られてきたのは、これまでAIでした。定型的な処理が自動化され、入り口の求人が減る、という筋です。
その織り込みは、すでに終わっています。
業界団体の計画。売上の見通しも590億ドルから433億ドルへ下げている。
今年、この産業で働いているのは196万人です。以前の計画では、2028年に250万人まで増えるはずでした。いまの計画は185万人。これから2年で11万人減ります。売上も590億ドル(約9兆3,800億円)から433億ドル(約6兆9,000億円)へ下げました。この下方修正は今年8月にすでに公表されています。
問題は、この修正にはAIしか入っていないことです。競合として名前が挙がるのはインドとベトナムで、どちらも人件費と人材の話でした。「世界の銀行と医療のユーザーを任せる相手として選ばれ続けられるか」は、まだ数字に入っていません。
止めるべきなのは、人の側です
2件の経路が示したのは、投資すべき先が設備ではないということです。強化すべきは、人がデータに触れるときの決まりごとのほうにあります。
業界の側がやること
Ligot氏が挙げたのは、どれも人を対象にした仕組みでした。
- 採用時の人員審査
- 役割ごと・期間限定のアクセス権
- 職務の分離(1人で完結させない)
- 退職時の即時のアクセス権失効
- 独立した監査と、AIを使った作業の記録
- 機能する内部通報の経路
業界団体は「データ保護とサイバーセキュリティは、フィリピンのこの産業を支える信頼の根幹である」と回答しています。Digital Pinoys の Ronald Gustilo 氏は、より直接的です。安い人件費ではなく、強い情報保護でこそ競争すべきだ、と。
発注する側がやること
マニラに業務を委託している日本企業は少なくありません。委託先の入退室管理やセキュリティ認証をいくら確認しても、電話でだまされることと、辞めた人のアクセス権は防げません。
Ligot氏が挙げた、契約書に書かれているべき項目はこの5つです。
- データの所有権は誰にあるのか
- 使ってよいAIツールの範囲
- 再委託の制限
- 事故が起きたときの通知の期限
- 測定可能な保証の義務
書かれていない契約は、事故が起きてから交渉することになります。
この読み方が外れるとしたら
安さで選ばれた場所が、いちばん重要な情報を扱っている。そして2年で2回、そこから抜けたときに破られたのは、システムではなく人でした。
AIによる自動化は、すでに見通しに入っています。人がデータに触れるときの決まりごとを強くできるかどうかは、まだ入っていません。そこを強くしなければ、この国が選ばれ続ける理由は、安さだけに戻ります。
ただし、この読み方が外れる筋も3つあります。
- 件数が増えても、発注が減らないこと。表沙汰になっていないだけで、実際にはもっと起きていると考えるほうが自然です。それでも単価と発注量が変わらないなら、「所在地で値付けする」力は働いていないことになります。
- 発注側が、委託先ではなく自社の仕組みの問題として処理すること。責任がフィリピンという国名に張り付かなければ、この見立ては効きません。
- AIが、人が触らずに済む流れを作ること。人が電話に出て画面を開くから漏れます。応対そのものをAIが引き受ければ、人が原因のミスや内部犯行の余地は構造的に消えます。
観測すべきは、業界団体が次に出す計画で 2028年の数字がまた動くかどうか、そしてその理由にAI以外が入るかどうかです。
換算は1ドル=159円(2026年8月21日時点)で計算した目安です。
SOURCES / 出典
- IT & Business Process Association of the Philippines (IBPAP)調査・レポート一次情報2026 Industry Overview: The Philippine IT-BPMadmin.ibpap.org
- BusinessWorldメディアData security breaches pose risks to Philippine outsourcing sector’s global standing — analystsbworldonline.com
- ABC News (Australia)メディアOrigin Energy hack traced to Accenture's Manila call centreabc.net.au
- ABC News (Australia)メディアDozens of Origin Energy customers' full bank details, ID numbers accessed in July breachabc.net.au
- PhilSTAR LifeメディアOrigin Energy data breach linked to former call center employee in Manilaphilstarlife.com
- Computer WeeklyメディアQantas details impact of data breach on 5.7 million customerscomputerweekly.com
- The RegisterメディアTech support scam caused massive data breach at Australian airline Qantastheregister.com
参考(本文の補足)
- RSM AustraliaThe Qantas data breach: Lessons in third-party risk
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