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フィリピンのスタートアップ投資は回復したのか——「過去最高」と「6年ぶりの低水準」が同時に報告される理由

2025年のフィリピンのスタートアップ投資について、「過去最高の15億ドル」と「前年同期比55%減」という正反対の集計が流通しています。どちらも正しく報告された数字です。定義の差を追い、2026年最大級の調達だったSalmonの1億ドルを分解すると、回復とは別の景色が見えてきます。

FinTech
フィリピンのスタートアップ投資は回復したのか——「過去最高」と「6年ぶりの低水準」が同時に報告される理由

フィリピンのスタートアップ投資について、2026年に入ってから正反対の数字が流通しています。

現地の独立系ベンチャーキャピタル Foxmont Capital Partners(フォックスモント・キャピタル・パートナーズ)は2026年3月、2025年にフィリピンへ投じられたプライベートキャピタル(未公開企業に入る民間資金の総称)が 15億ドル(約2,400億円)に達し、前年の11億2,000万ドル(約1,780億円)から 34%増 えたと発表しました。過去最高です。インドネシアやベトナムがベンチャー投資を30%以上減らすなかで、フィリピンだけが伸びた。財務省もこの数字を引用しています。

一方、アヤラ財閥傘下のCVC(事業会社が運営するベンチャー投資部門)Kickstart Ventures(キックスタート・ベンチャーズ)が投資専門メディア DealStreetAsia と共同でまとめたレポートは、2025年上期にフィリピンのスタートアップが調達した株式資金を 8,640万ドル(約137億円)・15件と集計しています。前年同期の1億9,100万ドル(約304億円)から 55%減。東南アジア全体でも、金額・件数の両方で6年ぶりの低水準でした。

どちらも信頼できる集計です。それなら、問いはこうなります。なぜ正反対の統計が同時に存在するのか。そしてその差は、フィリピンのスタートアップ市場について何を示しているのか。

なぜ正反対の統計が同時に存在するのか

二つのレポートは、同じものを数えていない

差の正体は定義です。並べると一目で分かります。

集計主体Foxmont Capital PartnersKickstart Ventures × DealStreetAsia
何を数えたかプライベートキャピタル。VC・PE・グロース投資に加え、デットファイナンス(社債や借入による調達。返済義務があり、株式は希薄化しない)まで含むスタートアップが発行した株式のみ
対象期間2025年通年2025年上期
金額15億ドル(約2,400億円)8,640万ドル(約137億円)
前年比+34%(過去最高)−55%
件数非公表15件

分母が10倍以上違うのですから、方向が逆に出ることはあり得ます。

ただ、ここで終わらせると「定義が違いました」で済んでしまいます。片方にデットが入っていて、もう片方には入っていない。この非対称そのものが手がかりです。後で戻ります。

件数で見ると、二つの統計は一致する

定義の違う統計でも、比較できる指標があります。件数です。そして件数を入れると、金額だけでは見えないものが出てきます。

まず、同じ2025年上期のフィリピンとインドネシアを比べます。東南アジアでフィリピンと人口規模が近く、スタートアップ市場としては先行している国です。

2025年上期件数調達額1件あたり
フィリピン15件8,640万ドル(約137億円)約580万ドル(約9.2億円)
インドネシア34件7,850万ドル(約125億円)約230万ドル(約3.7億円)

フィリピンは 件数がインドネシアの半分以下なのに、調達額では上回っています。1件あたりで2.5倍です。

次に、フィリピンだけを同じ1〜4月で年比較します。スタートアップ情報を集計する民間データベース Tracxn の数字です。

フィリピン・1〜4月件数調達額1件あたり
2025年9件2,420万ドル(約38億円)約270万ドル(約4.3億円)
2026年4件6,200万ドル(約99億円)約1,550万ドル(約25億円)

件数は9件から4件へ半減し、1件あたりは 5.7倍 になりました。見出しにすれば「前年比156%増」ですが、中身はこれです。

Foxmont 自身も、2025年の増加要因を「1件あたりの大型化」と説明しています。定義の異なる三つの集計が、件数については同じ方向を向いている。金額は測り方で変わりますが、件数は変わりません。

つまりフィリピンは、集計値が市場の温度ではなく、大型案件が1〜2件あったかどうかで決まる規模の市場です。

Salmonの1億ドルを分解する

見出しは1億ドル、うち4割はデット

では、その1〜2件とは何なのか。2026年の数字を押し上げた案件を見ると、先ほど預けた手がかりに戻ってきます。

2026年4月20日、消費者向け金融の Salmon Group(サーモン・グループ、2022年設立)が 1億ドル(約159億円)の調達を発表しました。フィリピンでは2026年最大級の案件です。

Salmonの調達(2026年4月)計1億ドル(約159億円)
60%
40%
  • エクイティ6,000万ドル(約95億円)。Spice Expeditions 主導
  • デット社債4,000万ドル(約64億円)。実効利回り13.7%

デット部分は1億5,000万ドル(約240億円)枠の社債プログラム(北欧市場で発行する枠組み)の一部。

見出しの1億ドルのうち、株主から入ったのは6,000万ドル(約95億円)です。残りは返済義務のある資金でした。

過去に遡ると、これが一度きりの選択ではないと分かります。同社の累計調達額3億1,000万ドル(約493億円)は、エクイティ1億6,000万ドル(約254億円)とデット1億5,000万ドル(約240億円)でほぼ半々。設立以来、両方を並走させてきた会社です。

共同創業者の Pavel Fedorov 氏は「貸金業には2種類の資本が要る。事業と成長を賄うエクイティと、顧客に貸す原資となるデットだ」と説明しています。

フィンテックの調達額は、貸出原資と混ざる

これは Salmon 固有の事情ではありません。フィリピンで案件数が最も多いセクターはフィンテックで、そのフィンテックの多くは実態として貸金業です。貸金業のバランスシートは、貸出を伸ばすほどデットで膨らみます。Salmon は BSP(中央銀行)免許の Salmon Bank と、SEC(証券取引委員会)登録の Salmon Finance を通じて、13.7%で調達した資金を貸し出しています。

ここで「プライベートキャピタル15億ドル」に戻ります。デットを含む集計が伸び、株式だけの集計が縮み、この市場で最大級の案件はその4割がデットだった。「スタートアップの調達額が増えた」と読んだつもりで、実際には貸出原資の増加を見ているという事態が起こり得ます。

13.7%という利回りは、副産物としてもう一つ教えてくれます。この国で貸金のバランスシートを回すときの資本コストの水準です。

資金はどこに入り、どこに入っていないのか

最初の資金を取る層は、世界平均の4割

総額を押し上げているのが少数の大型案件だとすれば、次に確かめるべきは反対側です。新しく生まれる会社に、最初の資金は届いているのか。

ここで数字の粒度が変わります。Startup Genome は国ではなく都市のエコシステム単位で世界を比較していて、「フィリピン」という項目はありません。フィリピンからは「マニラ」だけが対象です。比較する平均値も都市単位の平均なので、国全体の姿ではない点は割り引いて読む必要があります。

都市エコシステム単位の比較(国別ではない)シード+シリーズAの調達額(2023年下期〜2025年)(単位:百万ドル
マニラ(フィリピン)
228
アジア域内の都市平均
490
世界の都市平均
554

Startup Genome調べ。同社は世界の都市エコシステムを単位に集計しており、国単位の数字ではない。エコシステム価値もマニラは60億ドル(約9,540億円)で、世界の都市平均250億ドル(約4兆円)の4分の1にとどまる。

シードとシリーズAは、スタートアップが最初に外部資本を入れる段階です。マニラの2年半分の合計は2億2,800万ドル(約363億円)で、世界の都市平均5億5,400万ドル(約881億円)の 4割 にとどまります。

答えははっきりしています。「過去最高」を作ったのは、すでに事業を持つ企業の大型調達でした。新しい会社が生まれる部分の資金供給は、増えていません。

出し手は広がったが、視線は既存投資先へ

資金の出し手そのものも変わりました。

Foxmont は2025年7月末、3号ファンドで3,000万ドル(約48億円)のファーストクローズ(最初の資金確定)を発表しています。アンカー投資家(最大の出資者)はオランダの開発金融機関 Dutch Good Growth Fundフィリピン特化のアーリーグロース向けファンドに開発金融機関が出資したのは、これが初めてとされます。配車・決済大手の Grab Holdings も参加しました。同ファンドは投資範囲をシリーズBまで広げ、年間最大8件に絞る方針です。2026年3月には今後数年で最大40億ペソ(約104億円)を投じる計画を公表し、財務省が歓迎の声明を出しました。

Kickstart は2026年の方針を、既存投資先の強化、選別的なアーリー投資、事業会社LP(ファンドへの出資者)との連携の三つに置いています。ゼネラルパートナーの Joan Yao 氏は「2026年も厳しい環境が続く前提で臨むが、以前よりも健全な『生き残った側の集団』とともに進む」と述べ、2026年の最大の願いは流動性だとしています。同社が初めて実現した投資回収は、2025年第3四半期に投資先 SlashNextVaronis に買収された案件でした。

開発金融機関、戦略投資家、政府、財閥系CVC。担い手は確かに広がっています。ただし全員が向いているのは、新規開拓よりも既存投資先の延命と回収に近い方向です。

黒字が交渉材料になった

銀行免許を持つ組込型金融(他社のサービスに金融機能を埋め込む事業)の Netbank は2026年4月、シンガポールの Altara Ventures 主導でシリーズBを調達しました。金額は非開示です。代わりに前面に出たのは、2025年度に売上高を 88% 伸ばして黒字化したという実績でした。金額を伏せた調達が成立し、黒字が語られる。評価の物差しが動いたことが、そのまま表れています。

それでも「集中」と言い切れるか

ここまでの材料を並べます。

  • 件数の減少 — 半期15件、直近4か月は4件
  • 1件あたりの大型化 — 270万ドルから1,550万ドルへ
  • デットの併用 — 最大級の案件で4割がデット
  • 初期資金の薄さ — シード+シリーズAが世界平均の4割
  • 出し手の交代 — 開発金融機関・政府・戦略投資家へ広がる一方、視線は既存投資先へ

限られた資金が少数の勝ち筋に寄っている、という読み方が成り立ちます。

ただし、これは仮説です。四半期あたり数件から十数件という規模の市場では、構造的な「集中」と、たまたま大型案件が続いた偶然を、いまあるデータで切り分けることはできません。2026年通年の件数が15件前後で下げ止まるのか、さらに減るのか。それを見るまで、これが構造変化なのか一時的な谷なのかは判断できません。

日本企業がこの市場を見るときに

一つだけ挙げるなら、フィリピンのスタートアップ市場の勢いを、調達総額で判断しないことです。

半期の株式調達が1億ドルに届かず、件数が15件という規模では、1件の大型案件で前年比が3桁動きます。「過去最高」も「6年ぶりの低水準」も、同じ年の同じ市場について正しく報告された数字でした。総額だけを見て活況や停滞を判断すれば、その判断は1社の資金調達構造に依存することになります。

見るべきは、次の4つに分解した姿です。

分解の軸具体的に見るもの
セクターフィンテックか、それ以外か。貸金業かどうかで資金の意味が変わる
企業新興か、すでに売上と採算を持つ企業か
ステージシード・シリーズAか、既存投資先への追加出資か
調達の構造エクイティかデットか。新規投資家か、既存投資家か

ここまで分解して初めて、自社が組める相手がこの市場にいるのかどうか、という問いに進めます。

次に見るべき数字

冒頭の仮説を検証するなら、この4つです。

  1. 通年のディール件数 — 金額ではなく件数。2026年が15件前後で下げ止まるか、さらに減るか
  2. 調達に占めるデットの比率 — フィンテックの大型案件で社債・借入の割合が上がり続けるか。13.7%という利回り水準が下がるか、上がるか
  3. シード・シリーズAの件数 — 入口が細ったままか。Foxmont 3号ファンドの最終クローズ額と、他の国内ファンドが同様に開発金融機関の資金を引けるか
  4. エグジット — SlashNext 以外に回収事例が出るか。Joan Yao 氏が最大の課題に挙げた流動性が動くか
本記事の円換算と算出について

円換算は2026年8月21日時点のレート(1ドル=159円、1ペソ=2.6円)による目安です。金額は初出時のみ併記しています。「1件あたり」は各集計の調達額を件数で割ってPHILIPPINES STARTUP編集部が算出したもので、出典側が公表した数字ではありません。

SOURCES / 出典

  1. Foxmont Capital Partners調査・レポート一次情報
    2026 Philippine Private Capital Reportfoxmontcapital.com
  2. Department of Finance(フィリピン財務省)政府・規制当局一次情報
    Sec. Frederick Go welcomes Foxmont's PHP 4-Billion investment plan to grow PH startup ecosystemdof.gov.ph
  3. The Philippine Starメディア
    Philippines startup funding reaches $86 million in H1philstar.com
  4. Salmon Group企業公式一次情報
    $100 Million Financing Round by Salmon to Accelerate Growth in the Philippinessalmon.ph
  5. TechCrunchメディア
    Salmon raises $100M in equity and debt to bring digital credit to underbanked Filipinostechcrunch.com
  6. Foxmont Capital Partners企業公式一次情報
    Foxmont Secures $30M First Close for Fund III, Anchored by Dutch DFIfoxmontcapital.com
  7. Startup Genome調査・レポート一次情報
    Manila Startup Ecosystemstartupgenome.com
  8. Tracxn調査・レポート
    Startups in Philippines - Latest Funding Rounds, Trends and Newstracxn.com

参考(本文の補足)

  1. TNGlobalKickstart Ventures sets 2026 plans: strengthen portfolio, selective bets & double down partnerships with its corporate LPs
  2. Daily TribunePrivate capital rises 34% as Philippines bucks regional trend
  3. Fintech News PhilippinesNetbank Raises Series B Funding to Expand BaaS Platform in the Philippines
#スタートアップ#ベンチャーキャピタル#資金調達#Foxmont#Kickstart Ventures#Salmon

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