3年で10社が上場廃止になったフィリピンで、2026年の新規上場がゼロである理由
2023年からの3年で、フィリピンの上場企業10社が取引所での売買をやめました。サンミゲル系、SM系、パンギリナン系、ゴコンウェイ家。この国を代表する資本ばかりです。一方、2026年は1月から8月まで、新しく上場した会社が1社もありません。それでいて、取引所で集まったお金は過去最高に向かっています。この3つが同時に起きる理由を、8月の3つの出来事からたどります。

2026年8月、フィリピンの株式市場で3つのことが起きました。
米投資会社 KKR が、発電会社 First Gen の株を買い増したうえで 上場廃止にする案 を出しました。親会社は断りました。理由は「値段が安すぎる」。
小売大手 Robinsons Retail は、創業家のゴコンウェイ家が株を買い集めた結果、一般の投資家が持つ株が全体の0.31% まで減り、8月31日で取引所から外れます。
海外で働くフィリピン人の仕送りを扱う I-Remit は、決算を出せずに 2025年5月から株の売買を止められたまま、40日分の運転資金をつなぐ増資を決めました。
買い取られて降りる会社。買い取られずに残る会社。売買すらできない会社。バラバラに見えますが、同じ一つのことが原因です。
株式市場には、二つの役割がある
一つは、会社がお金を集める場所 としての役割。株を発行して投資家から資金を受け取る、という働きです。
もう一つは、株主が株を売って現金に換える場所 としての役割。買った人がいつでも売れるから、最初に買う気になります。
フィリピンでは、いま 前者だけが動いていて、後者がほとんど止まっています。
これがこの記事の中身のすべてです。以下は、その説明になります。
浮動株 … 発行済みの株のうち、市場で自由に売買されている割合。創業家や親会社が握っている株は含みません。ここが小さいほど「売りたいときに売れない」状態になります。
公開買付(TOB) … 買いたい人が「1株いくらで買います」と条件を公表し、株主から直接買い取る手続き。取引所での売買を通しません。
上場廃止 … 取引所での売買をやめること。会社が自分の意思でやる場合(自主的上場廃止)と、ルール違反で外される場合があります。
上場をやめた会社が10社、新しく上場した会社はゼロ
数字を見ます。
Manila Bulletin の集計では、2023年以降に フィリピン証券取引所(PSE) での売買をやめた会社と、やめることが決まっている会社が 合わせて10社 あります。
| 時期 | 会社 | 上場廃止時の時価総額 |
|---|---|---|
| 2023年2月 | Eagle Cement(サンミゲル系) | 1,100億ペソ(約2,860億円) |
| 2023年7月 | 2GO Group(SM系) | 330億ペソ(約858億円) |
| 2023年10月 | Metro Pacific Investments(パンギリナン系) | 1,510億ペソ(約3,900億円) |
| 2023年11月 | Holcim Philippines | 344億ペソ(約894億円) |
| 2024年7月 | Premium Leisure(SM系) | 344億ペソ |
| 2024年 | SFA Semicon Philippines | 79億ペソ(約205億円) |
| 2025年 | Keppel Philippines Holdings | 108億ペソ(約281億円) |
| 2025年 | 8990 Holdings | 562億ペソ(約1,461億円) |
| 2026年4月 | Asian Terminals | 686億ペソ(約1,784億円) |
| 2026年8月 | Robinsons Retail(ゴコンウェイ家) | 約760億ペソ(約1,976億円) |
10社を足すと約5,823億ペソ(約1.5兆円)。同じ3年間に新しく上場した8社が市場に加えた株式の価値は3,069億ペソ(約7,980億円)でした。出ていった価値が、入ってきた価値のおよそ2倍あります。
顔ぶれを見てください。サンミゲル、SM、パンギリナン系、ゴコンウェイ家。この国の資本を代表する側が、そろって降りています。
新しく入ってくる側はもっと深刻です。新規上場は2024年に3件、2025年に2件、そして 2026年は1月から8月まで1件もありません(いずれも暦年)。PSEは2025年に6件を目標に掲げて2件しか実現できず、2年続けて目標を外しました。東南アジア全体がIPOによる調達額を倍以上に伸ばした上期に、フィリピンだけがゼロでした。
それでも、集まったお金は過去最高になる
ここで数字が一つ、逆を向きます。
PSEの Ramon S. Monzon 社長兼最高経営責任者は8月18日、2026年の1年間(1〜12月)に株式市場を通じて集まる資金が 2,034億ペソ(約5,300億円)に達する見込みだと述べました。当初目標の1,700億ペソ(約4,420億円)を7月に引き上げ、それをほぼ達成する見通しです。
新しく上場する会社がゼロなのに、集まる金額は過去にない水準になる。 一見おかしな話ですが、内訳を見ると理由が分かります。
- すでに上場している会社の増資など869億ペソ(約2,259億円)
- Mynt(GCash)の新規上場・予定923億ペソ(約2,400億円)
- VITROのREIT上場・予定242億ペソ(約629億円)
Monzon氏が示した見込み額から、まだ実現していない2件の上場予定額を編集部が差し引いて算出したもの。8月時点で実際に集まっているのは、すべて既存の上場企業による調達です。
8月の時点で実際に集まっているお金は、すべて、すでに上場している会社が集めたもの です。優先株を出したり、追加で株を売り出したり、特定の投資家に直接引き受けてもらったり。Myntと VITRO の上場はこれからで、実現するかどうかも決まっていません。
Monzon氏の言葉が、この状態をよく表しています。
企業は資本を必要とし続ける。だから株式市場で資本を調達しようとし続ける。市場が荒れると先延ばしされることもあるが、結局は戻ってきて株式市場から調達することになる。
お金を入れる機能は生きています。 止まっているのは、反対側です。
なぜ、上場をやめるのか
Abacus Securities の調査責任者 Nicky Franco 氏は、上場廃止を 「自社株買いの極端な形」 と表現しました。自分の会社の株が安すぎると思ったときに買い戻す、その徹底版だという見方です。市場全体が歴史的に見て安い水準にあるいま、買い戻す誘因が強まっています。
安いから買い戻す。それはどの国でも起きます。フィリピンで違うのは、上場を続けても、得られるものが払うコストに見合わない 点です。
売買が少ないので株価が上がらない。株価が業績を映さない。それでいて、開示や内部統制には時間と費用がかかる(Reyes Tacandong & Co. の Jonathan Ravelas 氏)。しかも、上場していなくても、投資ファンドなどから、より高い評価でお金を集められる(Chinabank Capital の Juan Paolo Colet 氏)。
払う理由も、我慢する理由も薄い。だから降りる。
ただし、これだけでは8月のKKRの一件が説明できません。
買う側も売る側も、自分では決められない
KKRがFirst Genに出した提案は、次のような手順でした。
- 親会社 First Philippine Holdings から、First Gen 株の 8.43% を買う
- 親会社と、その後の運営について取り決めを結ぶ
- 一般の投資家が持つ 11.67%の株すべてに、1株35ペソで公開買付 をかける
- それを根拠に、取引所へ上場廃止を申請する
First Genの株のうち、一般の投資家が持っているのは11.67%だけです。つまり 親会社との交渉さえまとまれば、上場企業を1社まるごと非公開にできる 設計になっていました。
親会社は8月15日付の書簡でこれを断りました。理由は「価格がFirst Genの本来の価値を映していないこと」。KKRには資金も意思もありましたが、支配株主が首を縦に振らないかぎり、入ることも買うこともできませんでした。
反対側から見ると、もっとはっきりします。
Robinsons Retail では、ゴコンウェイ家の持ち株会社 JE Holdings が5月25日から7月6日まで公開買付を行い、7月13日に発行済み株式の21.54%にあたる2億2,958万株を取得しました。支払いは110億9,000万ペソ(約288億円)。これで一族と関係者の保有は99.69%になり、一般の投資家が持つ株は0.31% まで減りました。
このとき、一般の株主に何が起きたか。Ravelas氏は、多くの会社が 落ち込んだ市場価格を基準に買取価格を決める と指摘します。株主に残された選択は二つだけです。その価格で売るか、上場していない株を持ち続けるか。上場していない株は買い手を探すのが難しく、売るときの税負担も重くなります。
売る値段も、売る時期も、自分では決められません。
I-Remit はさらに極端です。
取引所は2025年5月16日、同社の株の売買を止めました。理由は通知に書かれています。2024年12月期の年次報告書(SEC Form 17-A)を期限までに出せなかったこと です。フィリピンでは、決められた報告書を出さない上場企業に対し、取引所が売買停止を科す規定があります。
停止の解除日は「未定」のまま、1年3か月が過ぎました。決算の遅れはいまも続いており、8月17日にも四半期報告書の期限延長を届け出ています。
株主は売ることも、買い取ってもらうこともできません。 売れない状態とは、こういうことです。
いちばん大きな上場が、いちばん薄い浮動株で来る
2026年、規制の側も動きました。ただし方向は一つではありません。
フィリピン証券取引委員会(SEC)は2月、上場するときに市場へ出さなければならない株の割合(浮動株)の下限を、会社の規模ごとに変えました。8月13日にはPSEも同じ体系に合わせています。
| 上場時の時価総額 | 市場に出すべき株の割合 |
|---|---|
| 5億ペソ(約13億円)以下 | 33% |
| 5億〜10億ペソ(約26億円) | 25% |
| 10億〜500億ペソ(約1,300億円) | 20% |
| 500億ペソ超 | 15% |
| 2,000億ペソ(約5,200億円)以上 | 個別審査で 12%まで 下げられる |
大きな会社ほど、市場に出す株が少なくて済む。大型上場を呼び込むための緩和です。この改定を報じた Manila Bulletin の見出しは「SECの新ルールはGCashとMayaのIPOをやりやすくする」でした。
同時にPSEは罰則を強めました。浮動株が基準を割った会社は 最長6か月の売買停止、期間内に戻せなければ 自動的に上場廃止 となり、5年間は再上場できません。
薄い浮動株での上場を認めながら、浮動株が薄くなった会社は追い出す。 同じ年に、同じ規制当局が両方を決めました。
そして10月、この国で史上最大の上場が来ます。GCashを運営する Mynt がSECに届出を出し、PSEへの上場を申請しました。仮の上場日は 10月19日。上場後の発行済み株式の 12% を売り出し、1株10ペソの想定価格で最大 923億ペソ(約2,400億円) を集める計画です。
12%。SECが2月に新設した下限と、同じ数字です。
この国の株式市場を立て直すと期待されている上場が、市場をここまで痩せさせた原因——薄い浮動株——を、認められる下限まで使って設計されています。
Myntが悪いという話ではありません。発行する側としては合理的な判断です。問題は、「上場する会社にとって最適な形」と「市場に厚みをもたらす形」が一致していない ことのほうにあります。
もう一社の答えはもっと直接的でした。フィンテックの Maya は、年内に 米国で5億〜10億ドル(約800億〜1,600億円)を集める上場 を先に目指し、そのあとでPSEへの上場を検討するとしています。自国の取引所は、最初の選択肢ではありませんでした。
上場していない会社も、同じ壁の前にいる
この問題は、上場前の会社にも及びます。
当媒体が先日取り上げたライブ配信アプリ Kumu の記事で、2020年に同社へ投資した Kickstart Ventures の Joan Cybil Yao 氏の言葉を引きました。当時は「Kumuはフィリピン人のコミュニティ精神を捉える道を作った」と語っていた同氏は、いまベンチャーキャピタルの共同経営者として、こう述べています。
2026年の最大の願いは流動性だ。
流動性とは、ここでは 投じた資金を現金に戻せること を指します。2025年上期にフィリピンのスタートアップが集めた資金は8,640万ドル(約137億円)、15件でした。投じる側の資金が細っている理由の一つは、投じた資金が戻ってこないことにあります。 上場という回収の道が閉じていれば、次の投資は起きにくくなります。
PSEは2027年までに28億4,500万ペソ(約74億円)を投じて、取引システムから清算、開示、監視までを入れ替えます。売買単位を1株に統一する「One Share, One Lot」も導入予定です。Monzon氏は優先課題として、株の貸し借り市場の育成と空売りの解禁も挙げました。この二つは売買のしやすさに直接効きます。取引所は問題の所在を分かっています。 ただし、どれもまだこれからの話です。
日本企業がここから持ち帰るもの
一つに絞ります。フィリピンの上場企業に少数株主として入るとき、「いつでも売れる」を前提にしないこと。
一般の投資家が持つ株が1〜2割しかない銘柄では、まとまった株数を市場で売り抜けることが難しく、価格は支配株主の判断に左右されます。現金に換える現実的な機会は、支配株主が買い戻すと決めたときに、その価格で 訪れます。そしてその価格は、下がった市場価格を基準に決められることが多い、というのがRavelas氏の指摘でした。
合弁や資本参加でも同じです。相手が上場企業であることは、いつでも降りられることの保証になりません。 降りる条件は、市場ではなく契約で決めておく必要があります。
もう一つ添えるなら、この状況は買う側にとっての機会でもあります。市場全体が歴史的に安い水準にあるというFranco氏の評価は、支配株主が非公開化を選ぶだけの割安さがそこにある ということでもあります。ただしKKRの一件が示したとおり、支配株主の同意なしにその割安さを取りにいくことはできません。
次に見るべき数字
- 10月19日のMynt上場が実現するか、初値がどう動くか — 「上場しても株価が公開価格を割る」という懸念が、この1件で強まるか和らぐかが決まります
- 2026年(1〜12月)で、上場廃止の件数が新規上場の件数を上回るか — DragonFi Securities の Jarrod Leighton M. Tin 氏が挙げた最悪の想定です
- 12%という浮動株が実際に認められるか — SECの個別審査の判断が、その後の大型上場の標準になります
- KKRが価格を上げてFirst Genに再提案するか — 親会社は価格を理由に断っており、取引そのものは否定していません
- Mayaの米国上場が実現するか — 実現すれば、次の世代の会社にとって「国外で上場する」が既定路線になります
- PLDT系VITROのREIT上場 — 最大242億ペソ(約629億円)を集める国内初のデジタルインフラREITで、Myntとは別の型の上場になります
円換算は2026年8月21日時点のレート(1ドル=159円、1ペソ=2.6円)による目安です。上場廃止各社の時価総額は Manila Bulletin の集計値で、算定時点は同記事に明示されていません。
SOURCES / 出典
- Manila BulletinメディアLeaving the PSE: Why companies think being public isn't worth it anymoremb.com.ph
- BusinessWorldメディアPhilippine equity market risks deeper sentiment drag if IPO drought continuesbworldonline.com
- BusinessWorldメディアPSE sees P203.4-B capital raising as two IPOs remainbworldonline.com
- PSE Edge(First Philippine Holdings Corporation)企業公式一次情報Material Information/Transactions(FPH 17-C・2026年8月15日付。KKR提案を進めない決定)C06334-2026edge.pse.com.ph
- PSE Edge(First Philippine Holdings Corporation)企業公式一次情報Clarification of News Reports(KKR提案の構造)C06186-2026edge.pse.com.ph
- PSE Edge(Philippine Stock Exchange)exchange一次情報I - Trading Suspension(PSE Disclosure Notice DN00061-2025)edge.pse.com.ph
- PSE Edgeexchange一次情報I-Remit, Inc. 銘柄ページ(Status: Suspended/直近売買 2025年5月15日)edge.pse.com.ph
- BusinessWorldメディアSEC lowers IPO float for big firms(Memorandum Circular No. 11, s. 2026)bworldonline.com
- Philippine Daily InquirerメディアPSE tightens public float rulesbusiness.inquirer.net
- The Philippine StarメディアGCash parent Mynt bound for stock market with P92.3-B IPOphilstar.com
- Mynt企業公式一次情報GCash parent Mynt authorizes filing for potential initial public offering on Philippine Stock Exchangemynt.com.ph
- Cebu Daily News(Inquirer)メディアGCash eyes tentative Oct. 19 IPO debutcebudailynews.inquirer.net
参考(本文の補足)
- PHILIPPINES STARTUP小売大手Robinsons Retail、ゴコンウェイ家の買い集めで8月31日に上場廃止
- PHILIPPINES STARTUP1,000万ダウンロードで課金者2万人、Kumuがユニコーンになれなかった理由
- PHILIPPINES STARTUPフィリピン証券取引所、2027年までに取引システム刷新へ28.4億ペソを投じる
- PHILIPPINES STARTUP取引停止中の送金会社I-Remit、2,000万ペソの増資で40日分の運転資金を確保
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