成功は、小さい行動の積み重ねで生まれます。
歴史的な大きな変化は一夜にして起こるものではなく、長期的な動きを経て、徐々に段階的に起こってくるものですが、ビジネスの世界でも同じことが言えます。
偉大な起業家とは、謙虚に、初心を忘れず、意欲と根性を持って粘り強く、自分のビジョンを信じてより良くなろうと努力し、一歩を踏み出すことを決意した人たちです。
今回紹介する7人は、成功したフィリピン人起業家たちです。彼らはスモールスタートで小さくビジネスを始めた後、リスクをとって事業を拡大させ、最終的には多くの人々に愛される事業を作り上げました。
さっそく、7人の創業ストーリーをみていきましょう!
1. Socorro Ramos – National Book Store
Ramos氏は、書店の店員として出版・小売業界に入りました。19歳の時、彼女は夫と一緒にマニラのエスコルタにNational Book Storeをオープンし、学生に本や学用品を販売しました。当時、マニラは日本の支配下にあり、本や定期刊行物に検閲を課されていました。収入を増やすために、キャンドルや石鹸などの他の商品を売るという試みもしました。
戦後の好景気が会社に利益をもたらし、より大きな収入をもたらした後、Ramos夫妻はアベニーダ通りに9階建てのビルをオープンしました。95歳を超えた彼女は、ビジネスにおける「現場主義」という昔からの伝統を今でも大切にしています。彼女は会社のロゴも自分でデザインました。
2. Tony Tan Caktiong – Jollibee
Tony氏は、現在のファーストフードのJollibeeにピボットする前に、アイスクリーム屋さんを運営していました。350,000ペソの資本金で、若かったTony氏は仲間と共に、CubaoとQuiapoに2つの支店をオープンしました。
アイスクリームだけでなく、ハンバーガー、フライドチキン、スパゲッティの提供することを決めたことを機にビジネスは成長。現在のJollibeeとなりました。フィリピン市場を熟知することで、Jollibeeはフィリピンのファーストフード産業の王となりました。
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3. Edgar Sia – Mang Inasal
イロイロ出身のEdgar Sia氏は、19歳の時に大学を中退し、ランドリーと写真現像のビジネスを始めました。 2003年、26歳のSia氏は、バーベキュー・ファーストフード店「Mang Inasal Ilonggo」をオープンすることを決意しました。最初に出した店舗は、彼の故郷のショッピングモールの駐車場でした。
レストランは急成長を遂げ、JollibeeのTony氏は、総額50億ペソでMang Inasalを買収しました。Sia氏は金融やヘルスケアなどの他の投資に回し、43歳にして国内最年少の億万長者として知られています。
4. Cresida Tueres – Greenwich Pizza
1971年、Cresida Tueres氏は、庶民的なショッピングセンターであるグリーンヒルズで小さなピザ屋さんとしてGreenwichを始めました。
Tueres氏には料理のコツがありました。友人たちが彼女の作る料理をとても気に入っていたこともあり、彼女の周りの人がフランチャイズ店を運営するようになり、大きく拡大しました。
彼女のビジネスセンスとGreenwichの成長に感銘を受けたJollibeは、1994年にGreenwichの株式の80%を取得しました。それ以来、ピザに限らず他のメニューの提供も行い、1997年には10億ペソという当時では記録的な売上を達成しました。
5. Milagros、Clarita、Doris Leelin – Goldilocks
Milagros氏、Clarita氏、Doris Leelin氏の3人は、たった2つのケーキディスプレイと10人の従業員と共に、マカティの小さいビルスペースでGoldilocksを始めました。彼女らはパン作りが大好きで、そのパンへの情熱をビジネスにつなげることを決めました。義理の姉の助けを借りて、リーリン夫妻は最初の店舗をオープンしました。
1991年、Goldilocksはフランチャイズを開始しました。2015年の時点で、Goldilocksはアメリカ、カナダ、東南アジアにも店舗を構え、フィリピン国内に約400店舗を展開しています。66,000ペソという小額の資本金からスタートしたGoldilocksは、現在では4,000人以上の従業員抱えるの企業に成長しました。
6. Joe Magsaysay – Potato Corner
若きJoe氏は学校を中退し、レストランの皿洗いや、ファストフードのレジ打ちの仕事をしました。数年後には店長となり、5つの店舗を担当するようになりました。
店舗経営の経験とスキルを持つJoe氏は、友人と立ち上げたPotato Cornerの経営を任せられました。彼らは資金を集め、1992年に屋台ビジネスを開始し、フランチャイズを次々と展開していきました。今日、ポテトコーナーはフィリピンをはじめ世界中に550以上の屋台型の店舗を持っています。
7. AraceliとJun Manas – Hen Lin
AraceliとJun Manasは、中国のシェフから学んだレシピと3万ペソの資本金を使って、1983年に「Hen Lin」を始めました。Junは保険会社で働き、妻のAraceliは銀行で働いていました。夫婦は自分たちでビジネスのいろは学びました。夜になると、二人はシュウマイや餃子を作る練習をしていました。
夫妻は、SMマカティに最初のHen Lin店をオープンし、30年経った今では、Hen Linは多くのモールで人気があり、ホピア、麺類、粥、米に合う惣菜、朝食など様々な商品を提供しています。