フィリピンで生活したことがある人なら、モールなどで「Fruitas」の屋台型の店舗を一度は見たことがあると思います。
フィリピンで絶大な人気を誇り、手頃な金額で健康的なフレッシュジュースを提供している「Fruitas」を創業したのは、中華系の家庭に生まれたLester Yu氏(45歳)。
Fruitasは、どのように生まれ、どのような成長を辿ってきたのでしょうか?
創業ストーリーとその成長の過程を見ていきたいと思います!
生まれ育ちのマニラの貧しい地域
Lester氏は、貧しいイメージのあるマニラのビノンド地区の小さなアパートで育ちました。
彼の両親は自営業を営む中国系フィリピン人商人。ふたりはフィリピンで最初のタバコ会社と言われている「La Suerte Cigar」という会社の同僚で、そこで出会いました。退職後は、何かを仕入れて売ったり、あちこちで副業をしたりして食いつないでいました。
Lester氏の家系では、起業家精神の血が受け継がれているように思えます。
彼の母方の祖母はもうすぐ100歳になりますが、Ongpinにある宝石店を所有し、現在も自身で経営をしています。
彼は小さい頃、そこで金の切れ端をブレスレット、イヤリング、ネックレスなどにして遊んでいました。
母親が自分の宝石店を開いたことをきっかけに、Lester氏は弟と一緒にそのお店の手伝いに時間を費やしました。また、両親は自宅で小さなサリサリストア(コンビニのような小売店)も経営しており、生活用品やその他の消費財を売っていました。
「私が物心がついた時、母は生計を立てるためにいろいろなことをしていました。お菓子を売っていたこともありました。家の中にはサリサリストアがあったんだ」とLester氏は振り返ります。
幼いの頃、両親、弟、自分の家族4人がアパートの2つの寝室のうちの1つに押し込められていたことを思い出します。もう1つの部屋は他の人に貸し出していた時期があったのです。
この典型的なフィリピンの貧しい自営業の家庭で育ったLester氏は、自然と勤勉さ、誠実さ、忍耐力という価値観を身につけていました。
大学卒業後、銀行員としてキャリアをスタート
デ・ラ・サール大学の工業工学専攻を卒業して間もなく、彼は副収入を得る方法を探していました。
「私はビジネスをするのが本当に好きでした。副業として宝石類、保険、さらには百科事典を売っていました」と彼は言った。
彼は会社員として雇用されている間も、週末に自分のビジネスを行っていました。彼は1995年にWestmont Bank(後のUnited Overseas Bank Philippines)でキャリアをスタートさせ、最終的には最年少支店長となりました。その後、彼は銀行での仕事を辞めて自分のビジネスを立ち上げました。
「副業でビジネスに触れていたので、自分のビジネスを立ち上げたいと思ったんです」と彼は言います。
雇用されている側に比べて、ビジネスを自分でやるにはオーナーシップが大切だと語りました。
一杯のフレッシュジュース
ある暑い日、生まれ育ったビノンド地区の家で、Lester氏は生オレンジジュースを作ろうと考えました。のどが渇いていた彼は、「健康的な生活をしたいから体に良いものを飲みたい」と思っていました。
自分で作ったジュースを気に入ったLester氏は、果物を絞ってジュースを作る作業を楽しんでいました。そしてそれが習慣になりました。ビノンド地区では、多くの業者が新鮮な果物や野菜を売っていました。果物を買ってきて、家でジュースを作るのにはとても便利でした。
その日常が人生を大きく変えることになるとは、その時は思ってもいませんでした。
オレンジを絞って健康にもいいフレッシュジュースにしたことから、「フレッシュフルーツジュース」というシンプルながらも可能性に満ち溢れたビジネスのアイデアを思いついたのです。彼はフレッシュフルーツジュースとシェイクを作り、周りの人々に売り始めました。
それが彼の食品・飲料事業のインスピレーションとなり、Lush Enterprises Corp.を設立。後のFruitas Holdings. Inc.となりました。
Fruitasの躍進
2002年、Lester氏はマニラのSMシティにFruitas Freshをオープンしました。それがヒットし、Fruitasは支店を増やし、フィリピン人に愛されるブランドとなりました。
30年の営業とビジネスの経験を持つLester氏は、スタンド型の店舗を1店舗から1000店舗以上にまで成長させることができました。
2019年11月時点で、Fruitasはマニラ首都圏をはじめ、カビテ、ラグナ、リザル、ブラカン、タルラック、ザンバレス、セブ、イロイロ、アクラン、ダバオ等の主要都市に出店し、すでにフィリピン国内で1,036店舗を展開しています。
またFruitasは、フィリピン人消費者の需要の高まりに対応するために新しいブランドを継続的に開発する施策の一環として、Coffee Talkを立ち上げ、コーヒーと紅茶の分野でも存在感を高めました。
今日、Fruitasが作り上げたFruitas Fresh From Babot's Farm、Buko Ni Fruitas、Fruitas Ice Candy、De Original Jamaican Pattie and Juice Bar、Juice Avenue、The Mango Farm、Buko Loco、Johnn Lemon、Black Pearl、Shou、Friends Fries、Halo-Halo Islandsなどの有名な食品・飲料ブランドとなっています。これらのブランドはすべて、Fruitas Holdingsの傘下にあります。
そして、上場へ
2019年11月29日、Fruitasは上場を果たしました。
約8億2,000万ペソの新規株式の売却による純収益は、Fruitasの現金残高を押し上げ、負債の削減につながると見られています。
「2019年6月30日現在の最新の監査済み財務諸表に基づくと、連結の現金残高はIPO直後に10億ペソを超えました」と述べています。
多くの起業家にとって、株式市場の上場会社の一員になるということは憧れと言えます。
しかし、Lester氏の場合は違います。「まだ始まりに過ぎない、まだまだ成長の余地はたくさんあります」と語っています。
Fruitas Holdingsの取締役であるCalvin Chua氏は、同社が過去数年間に生み出した成長の勢いを強調しています。
「2015年末時点の260店舗から上場直前の1,036店舗へと4倍近くに拡大しましたが、既存のブランドと新規ブランドの両方にはまだ大きな拡大の可能性があると考えています」とChua氏は言います。
今回のIPOで得た資金は、Fruitasの店舗数の拡大と既存店舗の改善に充てられる予定です。また、新しいコンセプトの導入や将来のブランドの獲得、債務の返済などにも使われます。
究極の夢
今日、Fruitasのブランドは、主要な都市にあるモールや街角でよく見かけます。しかし、Lester氏の究極の夢は、彼のブランドをフィリピンのすべての家庭に認知してもらうことです。
「私たちが望むのは、フィリピンのすべての家庭に、少なくとも1つのFruitasのプロダクトがあることです」と彼は言います。
誠実さ、勤勉さ、誠実さ、スピード感、責任感といった価値観を両親から受け継いだRester氏にとって、その夢は無謀なものではありません。